一般社団法人 日本飼料用米振興協会 [j-fra]  ジャフラ

「新みずほの国」構想
     出版社 農文協
著者 角田重三郎
解題T 井上ひさし
解題U 山下惣一
解題V 加藤好一
 ※ 生活クラブ連合会長
   当協会 運営委員
        

食の戦争
     出版社 文春新書
著者 鈴木宣弘
 ※ 東大大学院農学部教授


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 ◆ 「新みずほの国」構想 解題V 加藤好一


「新みずほの国」構想 内容紹介


書籍名称
「新みずほの国」構想

著 者

角田重三郎(つのだ しげさぶろう)

1919年、大阪に生まれる。

1943年、東京大学農学部農学科卒業、専攻は育種学。農林省技官、大阪府立大学助教授、東京大学助教授、東北大学教授、日本学術会議会員、宮城県農業短期大学長、などを歴任。日本育種学会賞、日本農学賞、読売農学賞、紫綬褒章を受ける。

2001年6月、逝去。

解題執筆者

井上ひさし (作家)

山下惣一 (作家)

加藤好一 (生活クラブ生協連合会会長・日本飼料用米振興協会運営委員)

目 次

解題T
 安定した成熟社会を築くための「聖書」;井上 ひさし 

解題U
 道程はけわしくても、絶望を急ぐことはない;山下 惣一 

解題V
 消費者と生産者をつなぐ飼料用米生産の可能性&;加藤 好一 

第一部 日欧米の緑の構図

 第1章 日欧米の風土と穀物の三横綱

 第2章 みずほの国の成立

 第3章 縄文と弥生と―みずほの国の生態系

第二部 稲作の発展が日本を成熟させる

 第4章 食糧と人口―社会の成熟の条件

 第5章 食糧の大増産「緑の革命」と日本

 第6章 過去のしがらみと将来の不透明

第三部 「新・みずほの国」構想

 第7章 環境に優しい新・三極をつくる―日欧米の成熟・共栄

 第8章 「新・みずほの国」の設計

◎ 「新・みずほの国の憲章」素案

あとがき

解題T 安定した成熟社会を築くための「聖書」

井上 ひさし(「現代農業」1991年9月号(農文協発行)より)

解題U 道は険しくとも、絶望を急ぐことはない

山下 惣一(2015年1月書きおろし)

解題V 消費者と生産者をつなぐ飼料用米生産の可能性

加藤好一(2015年1月書きおろし) 資料.pdf

(生活クラブ生協連合会会長 ・日本飼料用米振興協会運営委員)

このページは、上記の出版社の提供により掲載しております。
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解題V

消費者と生産者をつなぐ飼料用米生産の可能性

加藤好一(生活クラブ生協連合会 会長 ・日本飼料用米振興協会 運営委員)

1.角田先生の幅広な問題提起に共感 角田重三郎先生のご著書『「新みずほの国」構想』 (以下『構想』と表記)を、今回初めて拝読させていただいた。 角田先生は『構想』で、米国のトウモロコシ、欧州の小麦、日本の稲を「穀物の三横綱」と位置づけられている。この 本のサブタイトルは「日欧米 緑のトリオをつくる」であるが、それは角田先生の「時代認識」とこの三横綱の今後の 「役割」についての、先生のご専門の育種学をふまえられた展望、あるいは未来に対する願いが込められている。 「時代認識」としては、「安定成熟段階」という時代に日本もむかうということなのだが、そのような時代状況を大括 りにすると、「穀物は増産するが人口はあまり増えない」と角田先生は特徴づけられておられる。「役割」については、「主 穀の役割を拡げることが、日欧米がそれぞれの風土を生かして成熟し共栄する一つの重要な鍵」(一五九頁)という観点 から、その可能性についてさまざまに論じられている。 読後感として、「緑の革命」や「バイオエタノール」など、いくつかの論点に、若干の違和感がある場面もなくはなか った。また米国のトウモロコシは、後述するように現在では大半が、遺伝子が組み換えられた種子のものであり筆者は 問題を感じている。そうではあるのだが『構想』はじつに面白い本であった。若干の違和感は、この本が執筆されたの は一九九一年であることを思えばやむをえない。筆者としては、もっと早く読んでおけばとつくづく思った次第である。 なにが面白いのか。『構想』 の中心的な論点は、日本の水田稲作の未来を、減反という後ろむきなすがたではないか たちとして角田先生が示されていることだ。そのもっとも具体的な提案が「飼料用米」をふくめた米の増産(米のフル 生産)であり、これを日本で減反政策がはじまった直後の一九七五年に、すでに角田先生が主張されていたことにおど ろく(一六五頁)。 『構想』の最後に「新・みずほの国の憲章」(一九六頁)という、この本の全体を総括する問題提起がある。「周辺諸 国から尊重され敬愛される」「不戦平和の旗印を堅持する」、あるいは「経済成長優先から生活優先へ志向を転換する」 等々の角田先生のご主張は、昨今の政治のありようを思うとき共感や感銘を強くおぼえる。 ところで、角田先生がこの「憲章」で農業外の論点を主張されておられる、そのご主張についても感銘を受けた。角 田先生は「経済成長」一辺倒のこの国のあり様についても反省を促されている。しかしわが国の現状は、角田先生の『構 想』執筆から二〇年以上が経過したいまでも、「アベノミクス」という「成長」志向の政治メッセージに踊らされている。 「稲は、私どもアジアの住民にとっては、過去、現在、そしておそらく将来も、自給食糧の主軸である」(五六頁)。 角田先生は『構想』で、日本が「主穀の役割を拡げる」ための良質な実験を積み重ね、アジア諸国がいずれ「安定成熟 社会」にむかうであろうことをみすえ、その観点からわが国がその周辺諸国のよきモデルたらんとすることを主張され ているのである。 しかも角田先生は、「もっとゆったりと美しく豊かにくらせる」(二一七頁)ような、そういう日本の「国のかたち」 をめざすべきことを強調されている。世界の心ある人びとは「持続可能性」(サステナビリティ)について真撃な模索を はじめているが、私たちもここに合流すべきであろう。

2.国際家族農業年とこの国の農業 二〇一四年は国連が定めた国際家族農業年であった。しかし、わが国においては逆に、家族農業に敵対的な政治の動 きが目立った。日本の水田稲作は家族農業を基本に営々と営まれてきたが、この政治の動きは、さまざまに連動しなが ら家族農業と水田稲作を脅かしているように思える。 農水省は二〇二二年の暮に、これまでの米政策の重大な転換を表明した。直接支払交付金(一万五〇〇〇円/一〇a) の二〇一四年度からの半減、二〇一八年度で廃止。生産調整からの撤退等々。角田先生は減反政策について、「これでは 農家のやる気をなくし、国土のめぐみも引き出せない」(二二三頁)と訴えられている。筆者もかねがねそのように考え てきた。しかし、今回の生産調整からの撤退表明は唐突であり、農家のやる気が出るものではない。 今回の米政策の転換の背景には、米の消費量の減少に農政が追いつけないことがまずあるだろう。 すでに消費量は『構想』で角田先生が記されている量と比較して半減しているが、農水省の試算ではこれがさらに年 平均で八万トン低下する。二〇一五年産米の生産数量目標は二〇一四年産米より一四万トン少ない七五一万トンである という。農水省の試算よりも大きく生産数量が減少するということだが、いずれにしてもこの現状ではわが国の水田稲 作はもたない。こうして唯一ともいえる希望は、角田先生が『構想』で強調され、筆者もかねて重大な関心をもってき た飼料用米であるが、これについては後述したい。 少子高齢化や人口減少、あるいは食生活の変化(米離れ)によってこういう事態になっているといわれている。その 結果、二〇一四年の夏以降に報じられた米価(概算金)は信じられないような水準となった。この状況は一過性のもの で終わるであろうか。このことひとつをとっても、わが国の家族農業の未来はさびしいものがある。 しかしこのような米価の動きは、消費量や在庫状況だけの問題なのであろうか。筆者はその背景に環太平洋連携協定 (TPP) にむけた「地ならし」ともいいたくなるような「作為」を感じている。 くわえて二〇一四年にJAグループに対する、政府・財界からの重大な問題提起がなされた。「農協改革」というがそ の実態は「農協解体」である。これは家族農業を支える協同組合原則に対する攻撃であり、協同組合全体が連携してこ の事態に対処していくべきであろう。 ここで問題だと思うのは、生産調整の廃止もそうであるが、農協改革の議論でも、「強い農業」とか「攻めの農業」と かの主張を背景に、産業競争力会議とか規制改革会議とかの、審議会の一民間委員の主導力によって導かれていること である。角田先生は、「官治」や中央集権の政治のありようを『構想』で批判されておられるが、いまこの国で起こって いることはもっとひどい状況だ。先に家族農業に敵対する政治の動きが連動していると書いたが、念頭にあるのはこの ような一連の動きのことである。 さらに、「消滅する市町村」リストなるものが登場している。いまは「地方創生」というような耳あたりのよい言葉の 裏側に隠れているが、「消滅」という言葉の刷り込みによるその影響は、今後じわじわと大きくなってこないとも限らな い。これも家族農業や地方に対する重大な脅威であり、警戒が必要だ。 これらの動きを推進しているものは、あいかわらず「新自由主義」である。TPPの議論において、筆者はかねてか ら、新自由主義は生産者と消費者を引き裂く動きが非常に目立つと訴え続けてきた。 そのような動きに対して、なんとしてもブレーキをかけなければならない。角田先生は、「みずほの国の生態系」は見 事な「エコテクノロジー」 であり、「風土ととけあい風土をいかした人間のいとなみ」(七六頁)であったとお書きに なっている。まさにこれを至上の価値としていくことは、「協同組合セクター」の重大な使命であり、とくに生協におい て「自覚的消費者」の組織化として取り組む必要がある。

3.「攻防の妙手」として飼料用米生産 「どうも私の観察では、次代日本の展望の不透明は、つきつめると次段階‐(安定成熟段階)の日本における農業、 とくに水田稲作の位置づけがすっきりしていないためのように思えるのである。」 角田先生はこのように訴えられ、この状況を突破する最大の取り組みこそが、飼料用米の生産であるといわれている。 角田先生はそのメリットや意義についてさまざまにふれられつつ、これを「三万一両得」(一七二頁)の取り組みとして 位置づけておられる。筆者は少し違った視点ではあるが、飼料用米の取り組みを、囲碁や将棋の世界でいう「攻防の妙 手」と表現してきた。 私たち生活クラブ生協では、産直提携する各種の畜産物全体で、二〇一四年は一万二〇〇〇トン弱の飼料用米生産に 取り組んだ(飼料稲は別)。私たちはこの取り組みを一九九七年にはじめて着手した。もちろんこの時期は、現在のよう な飼料用米の政策(助成)がなかったこともあり、山形県庄内地方に本社のある、提携養豚生産者(株・平田牧場)の わずかな量にとどまっていた。 そうではあるが、この取り組みに着手した理由は、生活クラブのある組合員のつぶやきであった。 「国産の豚といってもエサは米国のトウモロコシなんですね」。ここから少しでも飼料の国産化の努力をしようという 決意を固めた。とはいえ、コスト差という壁が立ちふさがり、飼料用米の増産はままならなかった。 ところが米国では、トウモロコシをはじめとする、遺伝子組み換え作物(GMO)の作付がはじまった。日本でもそ の流通が一九九六年に認められてしまった。その後、GMOの作付面積が急増する。 生活クラブではGMOは食品原料や飼料として使用しないという方針を一九九八年から掲げてきた。 したがって、米国産トウモロコシを輸入する場合も、NON‐GMO(遺伝子組み換え作物ではない)のものを輸入 することになる。そうすると、NON‐GMOのほうが輸入コスト高となった。しかもその量の確保もかなりの努力を 要することになった。こうして飼料米生産に本腰を入れることを決意した。つまり飼料用米は究極のNON‐GMOな のである。 一方で、中国やインドなどの経済成長と、その富裕層の食生活の変化などもあり、世界で流通している穀物価格が高 騰してきた。こうしてますます飼料用米の増産が必要になった。とはいえ、助成をはじめとする農政としての政策がな ければ、やはりなかなか増産にはなりにくい。そのため農水省や衆参の議員会館に日参もし、その政策化を訴えた。そ の努力の甲斐もあり、また次に述べる生産者の甲斐もあり、また次に述べる生産者の努力の成果が花開いたことで、多 くの国会議員や地方自治体、あるいは全国のJAなどから視察があいついだ。 生活クラブの最大の米の提携先は山形県の遊佐町(平田牧場本社の隣町)である。遊佐町の生産者も減反による転作 で苦労していた。大豆を中心に対応してきたが、連作障害などの問題もあり、たとえ飼料用であれ、つくりなれた米を 転作作物とすることへの関心が徐々に広がった。ちなみに遊佐町では、主食用米が一七万俵ほど集荷されるが、生活ク ラブ組合員は、このうちの一〇万俵弱を消費している。また、大豆をはじめとする転作作物も、生活クラブの提携生産 者に全量出荷され、最終的には生活クラブ組合員が消費する関係にある。 平田牧場でも飼料用米の配合量が徐々に増加するにつれ、重大な決定を迫られることになった。平田牧場では当時、 飼料用米を給餌する豚には、後期飼料に米国のトウモロコシに代えて飼料用米を一〇%配合していた。平田牧場では年 間一八万頭を出荷し、生活クラブ組合員はこのうちの七万頭を消費している。しかし、飼料用米を給餌した豚とそうで ない豚の区分管理が難しくなってきたのである。こうして平田牧場では豚全頭に飼料用米を配合する方針を固め、生活 クラブもこれに同意した。 こうして増産にさらにはずみがつき、飼料用米生産がこの地に根づくことになった。

4.「攻防の妙手」の取り組みを持続的にするために 第2節で述べたような水田稲作を中心とする家族農業の危機的情勢をふまえると、飼料用米生産は生産者の希望とし てあるはずである。そして間違いなく、各地で二〇一五年の今年は飼料用米が増産されることになろう。現在の米や家 族農業を取り巻く情勢は、角田先生が『構想』をお書きになった時代とは全く異なる情勢ではあるが(『構想』が執筆さ れた時期はまだ食管法の時代である)、角田先生が展望されていた飼料用米を含めた日本における水田稲作の新しい時代 が到来しようとしている。 飼料用米を水田作の本作と位置づける時代。米が配合飼料原料の主原料になる時代の到来である。 これを確実なものにしていくには、すでに関係者は十二分に自覚されておられることだが、飼料用米に関わる政策を 「猫の目農政」にさせてはならないということである。二〇一四年末に、暴挙ともいいたくなるような総選挙があり、 自民・公明の連立による第三次安倍内閣が発足し、農相には西川公也氏の続投が決まった。西川農相は今後一〇年の指 針となる「食料・農業・農村基本計画」で、飼料用米の振興を明確化する意向を示めされたと伝えられている。しかし 一方で、昨秋、財務省が飼料用米の補助金単価を疑問視する意見を表明している。 筆者の感想としては、現行の政策にまだ改善の余地もあるように思えるが、ともかく政治・行政は飼料用米の政策の 持続性を担保すべきである。その意味は、繰り返すがこれが唯一ともいえるような水田稲作生産者の希望としてあるこ と。さらにはこれから飼料用米の大量流通がはじまるのであるから、保管や流通に関わる施設などの整備・新設なども 必要になろう。平田牧場が飼料用米生産を契約している生産者の一つに、宮城県のJA加美よつばがある。ここでは飼 料用米の専用カントリーエレベーターを建設したが、「猫の目農政」ではない裏づけがあれば、他所においてもそのよう な決断がしやすくなろう。 もちろんこのような大掛かりな取り組みばかりではなく、角田先生がおっしゃっている「モミ貯蔵、モミバラ輸送、 等々で管理費を節減する」(一七八頁)というような努力も重要である。米国のトウモロコシよりも価格が低くなければ、 畜産生産者が飼料用米を給餌するという動機づけにならない。 ところで、「米豊作時」「飼料用への転換」「需給調整に支援検討」という見出しの記事を、本稿執筆中に日本農業新聞 が一面で報じていた(二〇一五年一月三日付)。昨今の主食用米の状況からして、こうした施策も早急に整備すべきであ ろう。 飼料用米は繰り返すが「攻防の妙手」である。関係者一丸となった努力によって、飼料用米を文字通りそのように位 置づけていくための、生産−流通 1 消費の体制を構築し、わが国における新しい水田稲作の時代を築いていきたいもの である。 (二〇一五年一月書下ろし)